令和6年 2024年 1月1日
元旦は【甲子の日】と呼ばれる吉日のひとつでした。
60日に一度の周期でやってくるこの日は、六十干支の始まりで新しい事をスタートするのに良い日です。
『氣』のエネルギーが切り替わります。
【甲子の日】と言えば《大黒様》です。
こちらは、知る人ぞ知る”超運氣アップ⤴️”の神社と言われる、その名は妙義山【中之嶽神社】です。
最初の赤い大きな鳥居の前に【奉祝】と書かれた看板がありました。
多数の皆様にお参りいただき御朱印をお受け頂きました。
皆様にお納め頂いきまして御朱印にて参道舗装が完成したとのお礼がありました。心がほんわかと温かくなりました。
3000年前から縄文人が神の山と崇めた「妙義山」に鎮座する、金ピカの巨大な大黒様は小槌ではなく剣を持っているという、とても珍しい大黒様で、病や厄、悪性を払い福を招くと伝えられています。
剣で悪いものを断ち切り小槌で良い氣を膨らませるのでしょう。
大黒様は縁結びの神様です。開運も金運もご縁から*
また、妙義山の氣の力は絶大で、“やる気、元気が出て運氣が上がるパワースポット”として有名です。
【甲子大国神社】
拝殿前に二体の大黒様がご鎮座され、向かって右側は剣を左側は小槌を持っていらっしゃいました。
今年は辰年!
甲子大国神社の本堂の天井には祥運の龍が描かれています。
御朱印は二面開きで素晴らしく右側には大黒様と運気上昇,左側には青い祥運の龍が描かれて名前も入れてもらえます。迫力ある御朱印に良き氣をいただきました。
もう一つの御朱印は中之嶽神社の急な階段を登り切り登拝した印と甲子大国神社を参拝した印に日本一の大黒様の祥福を頂きました。
【中之嶽神社】
見上げる石段を登り切り、大きな轟岩が拝殿の屋根まで被さっている様子は迫力があり神秘的でした。
中之嶽神社の鳥居の真ん中には菊の御紋が輝いています。見上げた石段は145段!
鳥居をくぐり右手には不道明王がいらっしゃいました。
手水舎の水は冷たく綺麗で周りは緑に囲まれて心地よく小さな狛犬はお顔がつるんと丸くなり時の流れと歴史を感じます。いつ頃ここに鎮座したのでしょう。
石段は急で幅も狭く赤い手すりを握りながら登りました。
途中、後ろを振り向き階段の急さと遠くに見える妙義山の山々が美しく静かな空気感の中、また前を向いて登りました。
登り切ると目の前に圧倒的な存在感を示すご神体の轟岩が聳え立っていました。轟岩の迫力は今まで見たことがありません。
中之嶽神社は轟岩をご神体として岩の中にはめこまれたように拝殿・幣殿があります。
本殿を持たないのは珍しいことです。
拝殿で参拝させていただき写真を撮りましたらご神体の轟岩から降り注ぐ虹色の光の美しさ感動し、パワースポットと言われてるのを実感しました。
中之嶽神社は古くは山の主として「波曽神」(はこそかみ)をお祀りしていました。
山のパワー氣の力は絶大でやる気・元気が出て運氣があがるパワースポットなんだと感じました。
急な階段を降りる途中でへび(巳)が姿を見せてくれました。
へびが現れるのは、神様から歓迎されている印という説もあるので、縁起が良くて嬉しくなりました。
境内にはなんとも縁起の良い名前の花『福神草』が咲いていました。
初めて見る花です。スゥーッと茎が伸びたミョウガのような葉の上にワインレッドと白の花が咲いていて珍しい花です。つぼみがワインレッドで、花が開花し始めるとガクのようなものがピンクで花びらは白く薄く柔らかなクレープペーパーのようでした。この花は1日花で夕方にはしぼんでしまうそうです。
茎も赤いです。葉は本当にミョウガそっくりでした。
険しい山の上で福の神に沢山出会えました。
そして、約三百年もの間、欠かさず斎行されて来た最も重要なお祭りが 【甲子祭(きのえねさい)子の日・子の刻参り】です。
甲子とは 「気が栄える」 と言い、 だいこくさまのご利益を戴き運気が高まる日です。
今年の『甲子』の日はあと2回あります。
*月と日の方位が重なるスペシャルな日の10月27日
*天赦日と一粒万倍日が重なる12月25日
群馬県甘楽郡下仁田町にあり、軽井沢からも車で50分。
妙義山を眺めてのドライブは山の新鮮な空氣を身体にまといリフレッシュすることができますよ。
お勧めです!